REBTへの疑問や質問

アルバート・エリス研究所 発行パンフレット
RATIONAL EMOTIVE BEHAVIOR THERAPY(REBT)TODAY 2009年11月24日
日本人生哲学感情心理学会 訳

REBTの疑問や関心へ答える

1955年、アルバート・エリスはRational Emotive Behavior Therapy(REBT)を創始して、感情問題の治療における革新を開始しました。REBTの評判が高まり、多くの人がこの習得に関心を持つようになっています。

REBTについて人々はいろいろな手段、大学の講義、ワークショップ、新聞などや口伝えなどによって知識を得ています。その中のあるものは的を射て正しく、あるものはまずまずだが少し曖昧です。このパンフレットはREBTについて出されている共通したいくつかの疑問、混乱、関心に答えるものです。

REBTはどのようなものですか?

REBTは問題に打ち克ち、人間性の成長を促す実際的で行動を重視する方法です。
REBTは焦点をほとんど現在に当てています。つまり、現在持っている考え方、痛ましい感情、より充実した人生を阻害するほどの不適応な振る舞いなどに注目します。

REBTはまた問題解決を援助するために実績のある一連の技法を一人ひとりに合せて提供します。
REBT心理士はクライエントと緊密に協力して、彼らをしばしば情動の苦しみに導く一群のビリーフス(考え方、期待、その人特有の規則)を明らかにする手助けをしようと努力します。

そしてREBTは“論駁”というREBT特有の強力な技術を使い、機能の悪いビリーフスの一群をより賢明で現実的で役立つものに再組織化するための種々の体系化された方法を用意して人々を援助します。

結論的に言うならば、仕事で、親としてまた教育で、他の人たちとの上手な生活で、より健康的な社会と環境づくりで、自身の健康と個人的な繁栄の促進で、REBTは人々が有能さと幸せとを増す哲学と生活の方法を身につけ展開できるように援助します。

しかし、問題をよく理解するために、過去を知る必要はないのですか?

一部で信じられているのと違い、REBTは人が幼少期の出来事に強く影響されていることを本当に認めているのです。
自分自身と自分の価値について考える私たちの人生哲学の多くは、過去の経験から得られたものです。しかし現在、私たちはその過去を頭の中に詰め込んでビリーフス(信念の群れ)として持ち歩いているのです。

REBTは、手の届かないほど若い時にできたものにせよ、数週間前に生まれたものにせよ、ビリーフスは私たちの今の生活における感情と行動に有害なものとして関心を持っています。

REBTは過去の気持ちの不安定が今の毎日の思考方法や信念に影響を及ぼしていると信じています。私たちは過去を変えることはできません。しかし私たちは、私たちの今日のありかた、ありたい明日に過去をどう影響させるかということを変えることができます。

この意味でREBTは生活についても問題解決についても楽観的な方法なのです。

REBTは人々を論理的に客観的に考えるようにさせて、否定的な情動を完全に取り除こうとすると聞きましたけれど、本当ですか?

これはREBTの基本的な点が誤解されているためですね。おそらく他の方法以上に、私たちの思考と行動のほとんどの面に情動が関与していることを強調しています。 

REBTは否定的な情動(例えば、激怒、パニック、うつ)があまり強くなると、私たちは非常にみじめに感じるだけではなくて、自らの人生をつかさどる能力も悪化し始めると提唱しています。このような場合に私たちの思考の質は変化します。

そして、物事をあまりにも個人的に受け取って成り行きには構わなくなり、他人の過ちを責め、よくあるのは人生のゴタゴタや苦難に寛容でなくなるのです。

REBTは、自身および他の人々や世界をより現実的に良識を持って考える方法を提供することにより、個人が人生の途中で失った情動のバランスを回復するのを援助します。

しかし、怒りや不安などの感情は正常でも適切でもないでしょう?

もちろん!しかし、重要なことは感情のです。
物事がうまく行かないで強い苛立ちや不愉快を経験すると、あなたは欲求不満の状態を変えたいと思うでしょう。

これに対して激怒の感情はあなたを燻ったシチューの中に放り込むようなもので、あなたは全く動きが取れないか、せいぜい突発的に自滅的に動くだけです。

幹部に面接する場合には、僅かな不安や少しの気掛かりでさえ気持の動揺を強めて神経質な動作をしてしまいます。ところが、度を越した不安は思考と動作を妨害します。REBTは無気力にさせる情動を減らそうとするわけですが、だからと言って、あなたが不幸な経験をして強烈な悲嘆や不快に陥ることが不健全だという意味ではありません。

不公平や不運に直面した時起きる情動の乱れの沈静をREBTが重要視することで、現状維持を奨励しませんか?事態をより良くしようとする力をそぐことは言うまでもないですよね?

REBTが好む格言の一つ(Reinhold Neibuhrが最初に述べたもの)は、「私が変えることができる物事を変える勇気と、私が変えることができない物事を受け入れる平静さと、その違いを知る知恵を私に与えてください。」というものです。

REBTは、人々が自分の苦難に満ちた情動を上手に扱えるように援助することと、自分の行動を変えたり可能なところから自分がいる世界を良くすることができたりするように援助することの両方で、一人ひとりに自己実現を求めているのです。

あなたが酷く混乱した時、建設的に行動することはとても難しい。混乱した情動を上手に支配する能力を得てこそ、あなたは断固として悪い外部環境を変える行動をすることができるのです。

このように“私(me)”だけを重視することで、REBTは他人のことを考えない自分本位のわがままを奨励しませんか?世界中にはすでにこのようなわがままが嫌と言うほどあふれていませんか?

とても良い質問ですね。
その通り、多くの人は自分自身や他人の利益に対してあまりにも自分本位であり過ぎます。

REBTは自分本位のわがままでは無くなるような技術と態度を提供しています。自分本位のわがままはしばしば自己満足で動機づけられます。多くの自分本位の人は何でも欲しがり要求しがちです。彼らは自分がいい気持ちになりたくて値段に構わず欲しいものを手に入れようと熱中します。

REBTは物欲と特にこういうことで他人に自分を認めさせたがる欲求を減らすことで人々の役に立ちます。自分本位のわがままを冷やすために、REBTはアルバート・エリスがラショナルな自己受容の価値と名づけた言葉を教えます。

エリスによると、健全な人々は生き生きと暮らし、楽しく過ごすことができるというだけで、いつも生きていることを喜び自分を受け入れています。

この人たちは外面的な成果とか、物質主義者的な所有物とか、他人がどう考えるかなどいうことで自分の内面の価値を計ることを拒否します。この人たちは率直に無条件で自分を受け入れることを好みます。

それですから、彼の全てはあれだとか、彼の“本質”はこれだとかいうように、自分が全体的に評価されることを徹底的に避けようとします。自分を認めさせることよりも楽しもうとします。

このように、この人たちは他人を無視してわがままを押し進めるのではなく、責任のある自己中心主義から行動を学んでいるのです。

REBTは知性的な論駁だけではないのですか?

REBTは人々の考え方の中の、分別がない、正確でない、有用でもない面に彼らが気づいて変えるように教えることで彼らを援助します。
知性的な論駁という言葉が意味するものは恐らくこれでしょう。

しかし、それは混乱した感情の沈静化と人間的効用の増加を図るその他多くの情動的および行動的方法を一緒に用いているのです。

それらとして、
人生哲学感情心像法(rational-emotive imagery)、
自己主張法(assertiveness)、
自己養育(self-nurturance)、
冒険、その他の宿題、
例えばコミュニケーション技能訓練や羞恥心粉砕訓練などが挙げられます。

REBTはすごく知性的な人だけに本当の効果があると聞いていますけれど?

REBTは非常に頭脳明晰な人にとても良く作用します。
良い頭脳の力は、混乱している時は自分の思考が非論理的だと速やかに分析することで、いくらかの人の役に立ちます。

しかし、あなたが自分の思考のイラショナルな性質に速やかに気づく能力を持っているからといって、あなたが自分自身を助けるためにあなたの能力を使う訳ではありません。

多くの頭脳明晰な人はどちらかといえば、自分が間違っているのではないかと考えるよりも、自分の信念の正しさを主張したくなるものです。

この数年、REBT技法は5~6才の子どもたちや、学習障害のある者に対してさえも採用されています。

REBT心理士は広い範囲の知性的な、認知発達的な、その他の個性のクライエントに合わせてREBTを仕立てるように訓練されています。

REBTのセラピストは対決をたくさんすると聞いています。これでは全然共感的とも援助的とも思えませんが・・・?

REBT心理士は援助的支持的であり、協働関係を確立することに十分配慮しています。
セラピーに訪れる人全員が行動(action)と変化を受け入れる気になっているとは言えないし、何人かは彼らの性格や問題が原因で変化を受け入れる気になる前に十分な支持と共感とが必要なことをREBT心理士たちは理解しています。

それでもREBT心理士たちは、クライエントに積極的な役目を果たそうとします。彼らは情動を混乱させるビリーフスの変化を助ける手段をできるだけ速やかに身に着けるようにクライエントを援助し、日常のいろいろな問題に全ての機能を用いて対決している彼らを楽にしようとするのです。

そんなに積極的になって、REBTセラピストはクライエントを“コントロール”していませんか?

REBT心理士は生活に現れる諸問題の性質と、クライエントを取り巻く情動の窮状から彼らを救い出す方法について優れた洞察を持っています。

彼らは多くのクライエントが生活する上の主な問題と自分自身の内部の障害を幸せにむけて方向づけることは難しいと考えていることを十分知っています。

REBT心理士は、今ある問題を明確にし、また力を合わせて解決をする重要な普遍的な問題を特定するために、クライエントと協働作業を行います。

それだけではなく、REBT心理士はクライエントに考え方、感じ方、行動を変える新しい方法を熱心に教えます。

しかし、REBTはクライエントをコントロールしません。そうではなく、むしろクライエントが生涯に望むものをもっと得られるように自分の行動をコントロールして、自分の情動の問題を更に効果を得られるように扱い自己実現することを促すのです。

REBTは、人々にとってこれがラショナルだ、という独自の信念を強要するのですか?

REBTは、ラショナル・ビリーフスを人々が充足し、健康で可能性に満ちた生涯を生きられるようにするものと定義します。
この数年、アルバート・エリスは一群のラショナル・ビリーフスまたは人々の幸福や生存を励ます価値を特定しました。

例えば、 

ラショナルな自己受容
・・・人々が自分を等級づけするゲームをやめること・・・は不安をはっきりと減らし、自己受容の感情を増やすことで人々を援助するように思えます。

高い欲求不満耐性
は、生活の苦難(そのもの)や他人の不完全さを受け入れるように人を励まし、素晴らしい頑張り、忍耐、他人と上手にやる能力をもたらします。

REBT心理士は、しかしながら、“ラショナル”ビリーフスを強要しないように注意しています。

REBTは人々が幸福に到達することを援助できる他の“あまりラショナルとは言えない”ビリーフ・システムも存在することを受け入れます。
そして、更にREBTはクライエントの価値体系を受け入れ、クライエントの目標達成を促進する枠組みの中で仕事をします。

個人の信念と価値を重視し、“ねばならぬ”を除くということは、REBTは宗教的価値と矛盾しないのですか?

REBTは人々が厳しい期待を自分自身や他人や世界に強要すると不必要な情動の苦悩を経験しがちだということに気づきました。
REBTではこれらの期待を、絶対的な“ねばならぬ”と表現しています(shoulds,oughts,musts)。

例えば、「仕事上の重要なことに、私は絶対に成功しなくてはならない 。」という考え方は、あなたが過ちを犯したり失敗した時に、あなたを情動の煮え湯に突っ込むでしょう。

REBTは達成の価値を肯定しますが、それでもクライエントに何時でも全てに成功するという自分に厳しい要求は捨てた方が良いと薦めます。REBTはその代わりとして、もっと好ましい価値体系を提唱します。

それは、人々が自分の専門分野の目標を目指すことを激励しますが、もしそこに到達できなくても彼らを責めたり、罵ったりは決してしないものです。

似たことですがREBTは、特定の価値を共有しない他の人々を受け入れることと同様に、様々な宗教的状況のなかで人々の自己受容を促進するのに役立ちます。

REBTは意味がありますね。しかし私は、自分自身に使ってみようとは思いません。REBTは“知性的”だけれど“情動的”ではないと私は思います。

あなたがそれを考える時、REBTはかなり野心的に思えることをやり遂げようとしています。
それは、あなたが暗唱し、実践し、感じながら生涯を過ごすようになるイラショナル・ビリーフスの核心を変えること、そのものです。

多くの人の場合、お腹の中の情動の虫が頭で分かっていることに従うまでには時間が掛かります。

新しい考え方やビリーフスの学習は決まった騎手と馬による数年間の騎乗経験になぞらえることができます。馬は騎手が何も告げなくてもどこに行くのか知っているものです。

さて、あなたが騎手を変えた(新しい考え方になった)としましょう。馬はそれでも以前と同じ道を行きます(古い情動と行動)、しかし今度の騎手は道を変えようとして手綱を引きます(新しい情動と行動)。

あなたがREBTを試みた時に経験する緊張のポジティブな面は、あなたが感じ方と行動の仕方の新しい方法を学んでいること、そしてあなたがあなた自身の生涯の方向を定めようとしていることを証明しているのです。